実務家教員、人生の岐路で生きる事に挫折した

エンジニアから実務家教員になった筆者が、再び人生の岐路に立って、生きる事に挫折するまでの記録を綴るblogです。

査読論文の不条理

 個人的に、3連休から中一日挟んでのお盆休み5連休となりました。この貴重な期間をどのように過ごすかが今回の話題です。

 

 周りからは「学生が休みの間に論文を書くんだよ」と言われておりましたが、私は書ける精神状態の時に論文を書いて投稿する、という人間なので、書ける時に一気に書いて学会誌に投稿する事を繰り返していました。

 しかし、査読論文はことごとく落ち、その度に査読コメントを読んでしんみりしています。時には「そのような研究は既に行われている(ほぼ原文ママ)」としか書かれていない査読者コメントを目にして「じゃ、具体的にその論文の例を示してみろよ!」と逆ギレしたり…。そういう時は、一気に論文を書く気力が失せます。最近は、学会誌の査読は一発勝負、多くても修正1回までとなっている所が多いため、非常にハードルが上がっています。

 それと、私の研究は実験系なので、理論の積み上げだけで論文が書ける訳ではありません。実験をこなすだけでも大変なのです。しかも、倫理審査を要する分野でもあるので、統計的に有意差を示せるだけのサンプル数を稼ぐには非常に時間がかかります。

 

 一方、査読者から来るコメントに対するコメントにツッコミを入れたい事も多々あり…

  • サンプル数が不足しており、統計的な有意差を語ることは困難
    →私の実験より少ないサンプル数(n=8程度)で採択されている企業人執筆の査読論文もあるんですが?
  • 実験環境について…(中略)…適している実験環境ではないと考えられる
    →企業の実験環境と同一の実験環境にしているんですが?
  • 実験参加者の年齢層が偏っているため…(以下、身バレにつながるので略)
    →…研究の目的に「若年層の(略)」と書きましたよね?ちゃんと論文を読んで頂いてないんじゃないですか?

…なんだか、査読者が「査読論文を落とすことに快感を得ている」ようにしか感じられないのです。決して、自分の偏見だけでなく、査読コメントの文面からそう読み取れるのです。自分の論文の内容にケチをつけられるのなら、企業の技術者が出してきた論文だって相応に落とされるべきだし、その逆なら自分の論文も1本以上は通ってしかるべきだ…と、本音はそう言いたいです。しかし、ここはぐっとこらえて、採択されなかった論文をじっと寝かせて、再度冷えた所でもう一度読み直してみます。

 

 さすがに、昨年度に査読論文を5回投稿して全落ちしたら、書く気力も萎えるというものです*1。この経験をとおして感じたのは、学会によって査読者の質が大きく異なる事。例えば、学位を持っていない企業の管理職が査読するような実務系の学会誌は、企業人に甘く、教育機関の研究者に厳しい傾向があると痛感します。これはまさに大きなバイアスです。一方、普遍的な学術分野の学会誌は、査読者の質が高いと実感出来ます。そのため、通りやすい学会誌への投稿をあえて避け、しっかりした学会誌への投稿を心がけています。

 

 …今年の夏休みは、査読論文を再びリバイスするための心身の調子を整える夏休みになりそうです。

*1:幸い、お手伝い程度で執筆した共著の書籍が1冊刊行されましたが…。